小須田 牧
産まれたときから馬がいた、20歳で競走馬を運ぶ仕事を始めた
父が運営していた「小須田牧場」で三人兄妹の長男として産まれました。生活の中に馬がいるのが当然という暮らしでした。小学生のころから草競馬の騎手として馬に乗り、レースで何度も優勝しました。競馬雑誌の取材で大きく取り扱ってもらったこともあります。将来、きっと競馬の騎手になると信じて疑いませんでした。しかし、想像していた以上に身体が大きく成長していまい、騎手になる夢は諦めました。
父はこの牧場を観光牧場として運営していました。しかし清里ブームも去った後、子供ながらに私は「観光業だけではいずれ立ち行かなくなる」と推測していました。馬と共に暮らす中で今後も生計を立てていくのであれば、もっと大きなマーケットである競馬界に進出していくしかないと考えていました。
まず考えたのは、競走馬の運搬業でした。馬を運ぶには、専用の大型車両が必要です。トラックの運転手として18歳から働き始め、お金を貯めました。その後、準備が整った20歳のときに競走馬の運送業を始めました。
引退した競走馬に第二の人生を!「ホースブリッジ」の誕生
競走馬の運搬事業も軌道に乗り、競馬界での人脈やネットワークも広がりました。そんな中、競馬場のお客さんから、引退した競走馬は行き場もなく殺処分されて食肉にされる話を聞くようになりました。
「ここまで頑張ってくれた馬を何とかしてあげられないか」
「一生懸命育てた関係者の悲しみをどうにかできないか」
そんな気持ちで胸が詰まりました。
「競走馬をリトレーニングして乗用馬にできれば、乗馬クラブでもう一度生きる道へ導いてあげられるんじゃないか。」
「これを事業にできたら、競走馬にとっても馬主にとっても悲しいこの現状を変えられるんじゃないか。」
どうにかしたいという気持ちは、そのまま次の事業のアイデアになりました。競走馬の輸送・乗馬の輸送両方に携わってた私たちだからこそ実現できる事業でした。幸い私たちにはトレーニングできる牧場がありました。あと必要なのは、競走馬を乗用馬に変えられる人材でした。
馬のことならこの人たちで間違いない。以前から目をつけていたのが、現メンバーの小宮山と安永でした。馬術競技あるいは乗馬調教の実力は、山梨県内でも有名でした。公務員として働いていた二人を説得して、この事業に参画してくれることが決まりました。
競馬の世界と乗馬の世界を橋渡しする会社であたりたい、そんな思いを胸に、株式会社ホースブリッジが始動しました。
環境や設備に投資して、現役馬も休養できる施設に
私たちホースブリッジは、今では年間約400頭の競走馬を受け入れ、約200頭の乗用馬を乗馬クラブやその他の事業者にお渡ししています。多くの競走馬を受け入れ、多くの乗用馬を輩出する中で、馬主さんに口コミで知っていただく機会も増えました。
また、競馬場などのお客さんからは「引退馬だけでなく、現役馬も預けたい」という要望があり、数年前から現役の競走馬を預かる事業も始めました。清里高原にある私たちの牧場は、標高1,000mを超えたところにあります。日照時間が日本一長いにも関わらず、夏でも涼しいので、とにかく暑さが苦手な馬にとって恵まれた環境です。
馬の休養地として、例えば北海道なども有力ですが、本州のほぼ真ん中に位置しているため、東北や関東、中部、東海、関西などから比較的容易に短時間でアクセスできる利便性は、馬主さんにとっても大きな魅力の一つになると思っています。
ホースブリッジは、競走馬専門の獣医師と提携しているので、最新の設備を用いた治療やリハビリを行うことも可能です。また、まもなく競走馬用ランニングマシンが導入されるので、標高の高さを活かした高地トレーニングもできるようになります。ただ休ませるだけでなく、怪我や病気の治療あるいはリハビリを通じて、競走馬がじっくりと英気を養う場所でありたいと考えています。
先祖が開拓したこの特別な地で、馬たちの生涯をサポートしていきたい
馬に関わる仕事を約20年続けてきた中で、現スタッフを含めて、多くの人に支えられてきました。そしてこれら事業を運営して来れたのも、全ては清里の環境あってこそだと思っています。
馬たちにとって最高のロケーション、清里。祖父の代の開拓者たちが、過酷な環境で土地を耕し、家族を守り、次の代へと引き継いできたこの土地。そんな特別な土地で、これからも馬たちの生涯をサポートしていきたいと考えています。
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