スタッフインタビュー

安永 博紀

HORSE BRIDGE STORY

引退した競走馬を次に輝ける場所へ

私が馬と関わるようになったのは、大学の馬術部に入部してからでした。初めて馬に跨ったときの感覚は、今でも覚えています。4年間の部活動の中で、馬と触れ合う楽しさを知りました。

大学卒業後の就職先は山梨県の馬術場を選びました。馬への興味はますます強くなり、馬術にものめり込みました。馬を深く知り技術を磨き、いつしか国体に何度も参加するほどの腕前になっていました。

職員として仕事は順調にこなしていましたが、あるとき、引退した競走馬が殺処分されて食肉にされる話を耳にするようになりました。

「あまりにもかわいそう」
「他に生きる道があるんじゃないか」

日に日に、その思いは強くなりました。

国体、山梨代表馬を輸送をしていたのが社長の小須田でしたので、その時によく話をしていました。あるとき、「その馬に乗る技術と、馬を調教する技術で、引退した後の競走馬を救う仕事をしないか」と誘われました。

競走馬は放っておいても普通の馬には戻れません。普通の馬に戻すには調教によるトレーニングが必要です。自分がこれまで磨いてきた技術や、何より競走馬たちを救いたいという強い思いが活かせる場所だと思ったので、ホースブリッジに参画することをすぐに決断しました。迷いはありませんでした。

HORSE BRIDGE STORY

どんな馬でも、誰でも乗れる馬に

人と同じように馬にもそれぞれ個体差があり、気性も運動能力も大きく違います。同じように指導しても、3ヶ月で乗用馬に仕上がる馬もいれば、1年かかる馬もいます。また、賢い動物であるが故に心は非常に繊細です。どの馬にも当てはまるようなマニュアルはありません。一頭一頭と向きあい、日々、トレーニングしています。

「この馬が、行く先でも幸せでいてほしい」

そんな思いが常にあります。そのために自分たちができるのは、お客さんたちに可愛がってもらえるような馬に仕上げること。中には噛んだり蹴ったりする馬もいますが、褒めて伸ばしつつ、ダメなものはダメと教える。そんなスタンスで調教しています。

乗馬クラブには、いろんな方がいらっしゃいます。何度も乗馬した経験がある方もいれば、運動が苦手で乗馬した経験なんて皆無という方もいらっしゃいます。だからこそ私たちに求められるのは、初めて乗馬クラブに訪れた方でも、安心して練習できる馬なんです。

お渡しした馬の中には、乗馬クラブでさらにトレーニングを積んで、競技に出場する馬もいます。自分たちの手がけた馬がまた違う場所で活躍している姿を見ると、やはり嬉しいですね。

HORSE BRIDGE STORY

現役馬でも引退馬でも、再出発できる場所でありたい

政府の方針もあって、他の競馬場や乗馬クラブでも、引退した競走馬のリトレーニングする事例が増えています。競馬界全体でそういった土壌ができつつあることを歓迎しつつ、私たちはこれまでと変わらず、競走馬のリトレーニング専門機関として一頭でも多くの馬と関わり、もう一度活躍できる舞台へ導いてあげたいと考えています。

ここ最近は、休養地として現役の競走馬を受け入れられる環境が整ってきました。夏でも冷涼で、水も空気も綺麗という環境に加えて、厩舎には最新の医療設備が揃っており、競走馬専門の獣医による診療も受けられます。現役馬として一度でもホースブリッジに来てくれれば、性格や治療歴などのプロファイルを引き継げるので、引退してリトレーニングを受ける場合にもスムーズです。

コロナ禍が明けたら、乗馬クラブの活動も活発になることでしょう。そのときに、どれだけ多くの馬たちを橋渡ししてあげられるか。そう考えると、この厳しい局面でいかに多くの馬を受け入れられるか、踏ん張りどころだと感じています。

「一頭でも多くの競走馬を救いたい」

この事業に関わる決断をしたときの気持ちを大切に、これからもこの仕事を続けたと考えています。

MEMBERS

調教スタッフの紹介

小須田 牧

ホースブリッジ代表。幼少の頃から馬と慣れ親しみ、小学生になる頃には草競馬で幾度となく優勝。将来は騎手になることを夢見るも、身体が大きくなりすぎたために断念。20歳で競走馬の運送業を始め、2016年からは引退後の競走馬をリトレーニングするホースブリッジを設立し今に至る。

小宮山 修

山梨県代表として、国体優勝11 回を含む19年連続入賞。全日本選手権優勝6回。 釜山アジア競技大会2002の馬術、障害飛越団体で金メダルを獲得。プロの調教師として、数百頭の競走馬をリトレーニングしてきた実績がある。

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